七句会勉強会(15.06.10)報告
七句会の勉強会は、下記のように行われました。
1.日時 2015年6 月10日 (水) 午後5 時半~午後8 時
2.場所 路じ 溝口南口店 (うどん店)
3.参加者 内野さん、志方さん、治部さん、土川さん、深瀬。
4.内容
(1) 季語と句会
俳句上達のバロメーターを、句会で選句される度合いに求める場
合には、選者の季語に対する姿勢を事前に確認しておく必要がある。
例えば、朝日新聞の俳壇では、4 人の選者のうち、少なくとも金
子兜太は無季語を認めている。
明治以降になり、有季定型が強調されるようになった。
季語は結社によって異なるし、自由律俳句や無季語俳句の考え方
も結社によって異なる。さらに、実際の季節とずれていることもあ
る。したがって、季語に高い厳密性を求めることには、あまり意味
がないとも言えそうである。
(2) 金子兜太と無季語俳句 (資料A参照。土川氏提供。)
金子兜太は、人間性や社会性に関する厳しい無季語の俳句を評価
する。
例えば、次のような句である。
- なんといふこひしさ魚を焼いてゐる
- 暗闇の眼玉濡さず泳ぐなり
- 戦争が廊下の奥に立つてゐた
虚子の考え方とは異なるし、どちらが正しいという根拠も不明で
ある。
(3) 無季語俳句と川柳
感動を素直に俳句に表現したいとき、季語の制約を受けたくない
と思うことがある。
七句会は無季語も可であるが、その投句には季重なりの句が目立
つ。許容される場合も多いが、季節の違う季語が混在しているのは
矛盾であり、適当とは言えない。
無季語俳句と川柳は、全く別物である。七句会の選句表では、同
一の土俵で扱われているが異様である。投句者に申告させ別物とし
て扱うべきである。
(4) 俳句における表現
俳句を始めた動機として、自然の泰然さに強く打たれた体験があ
る。原発事故で、ゴーストタウンとなった地域のなかの自然の美を
詠みたいと思った。
短歌には、戦争の悲惨さを非常にリアルに詠んだものがあり、戦
争の悲惨さに胸が打たれる。
俳句は、文字数が少ないこともあり、読み手の想像力に訴えるこ
とも大切である。科学技術分野における説明とは180 度異なる。設
計図のような絵であったり、絵はがきのようでは困る。また、その
人のオリジナリティーも大切である。いちょうの落ち葉を黄色い絨
毯と表現するのは、はじめて作る人のみに許容される。芸人の世界
と同じである。
(5) 俳句の上達とは
俳句上達のマイルストーンを考える上で、句会の先生の作品が選
ばれないこともあるという状況が存在することにも注意したい。俳
句は、同人が集まった座の文学という側面もある。そういう中で、
その同人に評価されやすい句を作るという努力もあるだろう。投句
する句会の特性を踏まえて、投句する句を選ぶということもある。
また、例えば、システム設計と同じように捉え、枠はめにこだわ
らないで、言葉の組み合わせのおもしろさを追求するという信念に
基づく作り方もある。
次の句は、妄想の世界の最高傑作だと思っている。
- 触れもせず 小百合の寝顔 朝陽さす
(6) 現代俳句の師系 (資料B参照。土川春穂作成。)
師匠を選ぶに際して、その師系を把握しておくことも有意義であ
る。
今現在の主な俳句団体の協会は、日本伝統俳句協会、現代俳句協
会、俳人協会の三つである。
カルチャーセンターのようなところは、辞めたりかけもちするこ
とに寛容だが、結社となると辞めるのがむずかしいところもあるよ
うである。主宰者の人柄などに留意することも大切そうである。
以上 文責深瀬