七句会の集まり(14.08.03)の報告
- 日時 2014年08月03日 (日) 午後2 時~4 時頃
- 場所 上智大学四谷キャンパス 10号館 324教室
- 参加者 小幡、土川 (以上敬称略) 、深瀬
- 内容
1.資料(1) 「七句会 第八回句会の個人的なレビュー」 (深瀬) を使った討議
俳句には作る人の人間性のようなものが、結構、現れる。
2.資料(2) 「自由律俳句について」 (土川) を使った討議
言葉のリズムや拍子は、俳句でも大きな位置づけを占めている。
3.資料(3) 「なぜ、わたしは俳句を作るのか5 (深瀬) を使った討議
俳句を作る目的、期待される効用は、人それぞれ千差万別であり、その多
様 性が興味深い。
追記
冒頭、小幡さんから、前々日、大阪から東京へ豪雨のなか、高速道路で帰る
途中、追いこし車線で道路上にできた水たまりにハンドルをとられスピンし、
ガードレールに激突し、車は大破し廃車になったが、エアバッグのおかげで奥
さまともども九死に一生をえたとのご報告がありました。それでも小幡さんは
、レンタカーを借りて前日、運転して帰って来たとのことで小幡さんの精神的
たくましさに敬服しました。
深瀬 記
資料(1)
七句会勉強会資料 深瀬 (14.08.03)
七句会 第八回句会の個人的なレビュー
1.七句会 第八回句会 投句表 (2014年5 月11日締め切り)
春愁や煙雨の向こうのおぼろ梅 志方01
あぜ道に命みなぎるつくしかな 志方02
若葉透け名残り桜に春は行く 志方03
みちすがら相馬の桜に鯉のぼり 志方04
相馬路の今年も悲しき山桜 志方05
この春も大地剥ぎ取る除染かな 志方06
残雪に夕陽が滲む那須連峰 志方07
この春も ひばりさえずる 分譲地 橋本01
春は花 花花花を 咲かせ行く 橋本02
新緑の フィールドアスレチック (の子ら) 声高く 橋本03
癒される 柔らか若葉の 散歩道 橋本04
(春のゴルフを2句)
ティーショット 吸い込まれたい 皐月晴れ 橋本05
薫風が 運んでくれた ナイスオン 橋本06
(日本の公的債務 (借金) の危機的状況はどうなる?) 橋本07
借金が 世界遺産と ならぬ世に
今年2 月に中央区に転居し、毎朝街中を散歩しています。
ビルの森 窓辺に映える 春の雲 吉良01
コンクリを 押し分け萌える 春の草 吉良02
ざわめきの ひと人ヒトに 春の顔 吉良03
春の陽の 水辺に照らす 白黄色 吉良04
行く春に 汗したたらせ 若葉かぐ 吉良05
隅田川 春待ちわびて 櫂をこぐ 吉良06
春愁やエンドロールの文字滲む 土川01
半地下にロシアの春のアコーディオン 土川02
「お帰り」といふ日本語の暖かし 土川03
朧月車窓に映る無表情 土川04
単線の上りを待ちて黄水仙 土川05
風香る 菜の花畑 春爛満 古川01
若葉寒 春の気まぐれ 風しみる 古川02
雲雀鳴き 春風そよぐ 幸せや 古川03
松永邸でバーベキュー御馳走になりました
友集い 春昼下がり 酒うまし 古川04
老いの先 宇宙の基へと 帰る道 古川05
雨風に 曝されても行くぞ 老いの道 古川06
農協の日替わり定食で、でてきたカレーと蕎麦で考えて
しまいました。ちなみに私も知らないおじさんもカレー
から食べました。
カレーと蕎麦 どちらを先に 食べるべき 古川07
深みゆく緑に春を惜しみけり 深瀬01
春惜しみ老後戦略再吟味 深瀬02
障子切る鳥影の濃し春や行く 深瀬03
新緑に山はおおわれ別世界 深瀬04
海と陽といのちたわむる干潟かな 深瀬05
タイヤチェーン雪うつ音や都心夜 深瀬06
ボケたかと不安横切る老後日々 深瀬07
いつ終わる老後の道の一人旅 深瀬08
日本鬱中華帝国よみがえり 深瀬09
日本流耽美こだわりガラパゴス? 深瀬10
米中のはざまで問わる日本流 深瀬11
独立の意味いま問わる日本かな 深瀬12
うましくに日本に溢る汚染水 深瀬13
星をみて亡きひと想ういのちあり 深瀬14
自然との距離と関係思想生む? 深瀬15
自然への畏怖失せし世は空騒ぎ 深瀬16
自然への畏敬なき学うわ滑る 深瀬17
細胞の個々とわれとの関係は? 深瀬18
電王に腕組む棋士に疲労感 深瀬19
絶叫す中継アナに落差あり 深瀬20
桜みちはずむ歩みが春を呼ぶ. 小幡01
花びえに重きからだに老いとしる. 小幡02
土けむり孫が泣き出す春あらし. 小幡03
春うらら歳を忘れて岩登り. 小幡04
桜みち弾むこころに夢をみる. 小幡05
2.個人的な見方
〇志方さんの俳句
自然の風景をじっくり観察し、細かいところまで、味わっている。
その一方、人間のやっていることを、自分のことも含めて、やや肯定できず
にやや距離をおいて見ているクールな雰囲気も感じられそう。
俳句つくりになにを求めていくか、注目してみたい。
〇橋本さんの俳句
生活の場のなかで、自分自身の社会性も含めて、健全に肯定的に捉えている
。
分譲地、アスレチック、散歩道、ティーショット、など、日常の生活にしっ
かり根付いている感じ。
〇吉良さんの俳句
都心のなかでたくましく存在している自然をしっかりと見つめ、自分自身の
位置づけも揺るぎなく肯定している。都会のなかで、自然や自分自身も含めて
、冷静に客観視することができている。お医者さんならでは?
〇土川さんの俳句
日常生活のなかで、普通はあまり意識されないような風景を、しっかりピン
トをあわてせて提示するというのは、土川さん独自の切り口のように思います
。
その切り口には、いろいろな教養や興味に裏打ちされたもので、土川さんの
人間性のようなものが深く刻み込まれたもののように感じます。
なにか絵画的で、よむ人の意表をつくというのか、少しはっとさせるような
面もあると思います。
人間や社会を、否定的に捉えるという訳ではないが、だからといって肯定的
に捉えている訳でもなさそうです。
〇古川さんの俳句
やや気張っているのが、古川さんらしい感じがします。その一方、やや首を
傾げて、疑問を投げかけるような気配もあります。しかし、全てに対して、肯
定的な気分を強く感じます。
〇小幡さんの俳句
自然や日常の生活の場で生きている自分を、鷹揚に、肯定的に捉えている小
幡さんの姿勢が強く感じられます。人生とは、こういうものなのだ、というメ
ッセージがここちよく、説得力があると思います。
以上
資料(2)
七句会勉強会メモ
2014.8.3. 土川春穂
■自由律俳句について
俳句は「五七五」の定型を守るというよりも、基本的に七五調のリズムを大
切にすることと私は思っています。しかし、定型の意味をもう少し考えるため
に、敢て定型俳句の対極にある自由律(無定型)俳句について勉強してみるこ
とにしました。(文献:池内紀編 岩波文庫 尾崎放哉句集)
自由律の俳句と言うと尾崎放哉(おざきほうさい)が有名です。彼は大正1
年に41歳で早逝していますが、十代半ばから30歳ぐらいまでの一高、東大、エ
リートサラリーマン時代は定型俳句を書いていました。その後、俳誌「層雲」
で萩原井泉水(おぎわらせいせんすい)の指導のもと、自由律俳句に転じてい
ます。
尾崎放哉の代表句というと、
咳をしても一人
墓の裏にまわる
が知られていますが、これは自由律と言うよりも、私には「三三三」の定型に
見えます。
話は少し余談になりますが、日本の歌謡曲、特に演歌を見ると、その歌詞の
大部分が七五調になっています。それほど、七五調は日本人の心に訴求性があ
るリズムと言えます。たとえば、「北の宿から」(阿久悠作詞、都はるみ歌唱
)は、
あなた一人じゃ ないですか 日ごと寒さが 募ります
着てはもらえぬ セーターを 涙こらえて 編んでます
と、見事な七五調です。
日本語は基本的にかな一文字一拍のリズムをもった言語です。七五調は、実
は休みの拍を入れると八拍ごとの八分の八拍子になります。それが日本人には
心地良いリズムなのです。
<---- 8音----> <---- 8音 ---> <---- 8音 ---->
♪♪♪♪♪・・・♪♪♪♪♪♪♪・♪♪♪♪♪・・・
うみにでて・・・こがらしかえる・ところなし・・・
ふるいけや・・・・かわずとびこむみずのおと・・・
* 中七は三四の時は初めに休みが、四三の時は後に休みが入る
七五調の他にも日本人の好きなリズムがあります。「津軽海峡冬景色」(阿
久悠作詞、石川さゆり歌唱)を歌ってみてください。
上野 発の 夜行 列車 降りた 時か ら・・
これは「三三三・・・」の三連符(三拍子ではない)の連続です。三連符も
日本人の大好きなリズムと言えます。上記の放哉の代表句も実は「三三三」な
のです。
晩年になっても放哉は井泉水に徹底的に添削指導されていたようで、井泉水
の死後に倉庫から発見された放哉の句稿から、その添削の様子が分かります。
面白いので、添削前後をいくつか並べて書きます。
尾崎放哉句稿 (上段) 萩原井泉水添削後 (下段)
たった一人分の米白々と洗ひあげたる
--> 一人分の米白々と洗いあげたる
時計が動いて居る寺の荒れてゐること
--> 時計が動いて居る寺の荒れてゐる
いつも泣いて居る女の絵が気になる壁の新聞
--> 壁の新聞の女はいつも泣いて居る
お粥をすする音のふたをする
--> お粥煮えてくる音の鍋のふた
一つ二つ蛍見てたずね来りし
--> 一つ二つ蛍見てたずねる家
口あけぬ蜆(しじみ)淋しや
--> 口あけぬ蜆死んでゐる
いずれも少しの添削よって、自由律といえども(自由律だから)リズムが躍
動して、情景が生き生きとするのが分かります。俳句というものはやはり定型
というよりリズム、さらに言えば、それによって表現される感動が重要なんだ
ということをあらためて感じました。
資料(3)
七句会勉強会資料 深瀬 (14.08.03)
なぜ、わたしは俳句を作るのか
1.自分の置かれている状況
- 産業経済社会、企業組織から離脱
- 子育て、老いた両親の世話も終了
- 人生の消化時間 一句「人生の消化時間に俳句よみ」
- 身辺整理の時。この世に別れを言う準備をする段階に。
- ある程度、納得して、この一回限りの人生に別れを言いたい。
- ゴーギャン 「われわれはどこから来たのかわれわれは何者かわれわれは
どこへ行くのか」
- 運命に翻弄されるがままに死んでいくというのではなく。
- 一句「支えとすこの百句もち永久の旅」
2.俳句の効用
- 普段、意識を向けないものに意識を向けるようになり、自然の美しさや人
生の不思議に気がつくようになる。
- 大学 『心ここにあらざれば視れども見えず、聴けども聞こえず、食らえ
どもその味を知らず、此れを“身を脩(おさ)むるはその心を正すに在り”と
謂う』。意識を向けるということがむずかしい。 仏教の教えも、本質はこう
いうことらしい。( ゴルフも囲碁も同じでは、と最近感じます。)
- 俳句は、ことばを探して、それを表現し、客観化し、他者と共有できる。
五七五や兼題などの制約を通して、意識を集中できる方法論もある。
3.俳句を作るという観点でその他気になること-作る目的、理由との絡みで
- 高得点を得たいという気持ち。誰のために作るのか。
- こどもの俳句の斬新さ。大人の視点は、次第に曇る?
- 芭蕉の俳句を除いて、座右に置いてもよいという俳句があまりない。
権威主義的なもの。規範にはめられすぎ?
- 独自性、オリジナリティーということ。
人それぞれの独自世界は大切。多様性。
- 季語重なり、動詞が多い、等の制限規則。
4.「支えとすこの百句もち永久の旅」--今現在の候補
永久の旅の支えになるか? なにが支えとなるのか? 「こういう人生だった
。そういうこともあった。」
春ころ
○ 胎動の不安帯びたる春の風
○ 地下鉄の駅の生け花春ともす
○ 日暮れ延び気持ち和らぐ春や来る
○ 抹茶たてうぐひすを聞く桃源郷
夏ころ
○ 水面のバラの花弁に蟻ひとつ
○ バラの茎昇り降りする黒き蟻
○ バラの香に思いはせるや異邦人
○ 戦没の海にビールを注ぐかな
○ 仏壇のビールに笑ふ父遺影
○ 父ビール王冠バッチで子ら遊ぶ
○ かみなりを合図に妖怪湧き出でる
○ かみなりにへその仇討ちかえる跳ぶ
○ あさがほの淡きいろどり江戸情緒
○ ろくろ首あさがほに見る不気味かな
○ 夏の陽にみみずのたうつ断末魔
○ 夏旅館朝日きらめく海入れる
○ 夏の道電線の影踏みつづけ
○ 夏休み終着駅に波の音
○ とんぼとり虫かご母に見せし日も
秋ころ
○ 妻ひとつわれもひとつとぶどう食べ
○ チェロの音に紅茶かたむけ秋の夜
○ 満月を湖面にゆらす小舟かな
○ 月光に谷底の川ひびきおり
○ 芋の葉の朝日吸い込む収穫日
○ しらぎくに英霊の眼になみだかな
○ ひとのみし海に菊投げ鎮魂す
○ 野にしても卑にあらずとは菊の花
○ 清涼の空と野菊に母想う
○ 鎮魂を菊に託すか海浜辺
○ 英霊に白菊捧げ黙祷す
○ 軍艦のごとく雲ゆく野分かな
○ 野分きて魑魅魍魎ら雀躍す
冬ころ
○ 寒稽古終わりて教会鐘の音
○ 夕焼けの電線よぎる落ち葉かな
○ 街頭のひとごみ縫って舞う落ち葉
○ 落ち葉踏みコーヒー片手に急ぐ朝
○ 冬来たりこころ鎮まる寒さかな
○ 垣根越し時雨れに急ぐ人の影
無季語・川柳
○ 死の床で雲の流れに別れ言ふ
○ 死ぬときは一人旅立つ父母のもと
○ さらに生きなにかよきことあるか問ひ
○ みずからの生き方したか問いて死ぬ
○ 母と待ったこの三越のエレベータ
○ いつの日かにこにこ顔もデスマスク
○ (火葬場にて) 残りしを掃きて集めし母の骨
○ 集めたり分けている間に寿命尽き
○ 死の床で父母に再会思うかな
○ 漆黒に蒼き地球の寂寥感
○ 雲変化空を彩る自在さや
○ 翼竜ら太古の空を滑空す
○ 前をゆくまるみ帯びたる大ヒップ
○ つけまつげ電車のなかも宝塚
以上
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