七句会
第二十一回ネット句会参加各位
第二十一回の選句結果を踏まえて、感想や自句自解、等をおよせいただき、
たいへんありがとうございました。
およせいただいたものを、名前順に、ほぼそのまままとめてお届けすること
にします。今後のやり方に、ご意見、等ありましたら、よろしくお願いします。
今回は、七句会の案内を出した方、全員にご参考までにお送りすることにし
ました。
七句会のweb http://nanaku-haiku.blogspot.jp/ には、掲載したいと思っ
ています。
今後とも、よろしくお願いいたします。
深瀬 (事務方)
(1) 小野寺さんの自句自解
078 打ち水を 避けて 町屋は暮れにけり
豊さんが解説してくださった通り
京都の町は夏が暑く、打ち水が風物詩です。
昼間の暑いさかりの 打ち水を避けて 夕暮れが
迫ってきている。白っぽい暑さが 気がつけば
夕暮れに変わってきている、長い歴史に裏打ちされた
京都の町屋は 時間の移ろいとともに絵になる風景でもあります。
090 宵宮に 浴衣のひとの 薄化粧
深瀬さんが的確に解説してくださったとおり
宵宮は祭りの前夜祭のようなもので氏子は粛々と
装束を清めております。静粛な佇まいの宵闇が迫る中に
浴衣の君は 薄化粧なのです。志方さんの想像の通り
薄化粧が 美しく 蠱惑的なのです。。
054 陽だまりに 影落としけり 夏の蝶
少年の頃 蝶の採集が好きで宝石のような緑シジミや
ルリタテハ。オオムラサキなどを追いかけておりました。
夏のひだまりにいた 瑠璃色をしたルリタテハの濃い
影は今でも蝶を追いかけた日の心象風景です。
058 夕菅や 時雨て荒れ野 夏木立
学生時代に行った尾瀬の風景です。
夕菅草が 荒れ野に一面に咲き乱れ
時雨た荒れ野の向こうに 夏木立がおぼろに見え
かっこうが啼いておりました。
060 藍染の浴衣着流し 乱れ髪
宵宮に行った浴衣のひとは藍染の浴衣を着流して
おり、黒髪が風に吹かれてほつれておりました。
062 佇めば 闇を蛍が夢をひき
少年の頃 岩手の釜石の田舎の蛍は平家蛍で小さい光なのですが
生まれ故郷の母の田舎の福岡の東郷という田舎の蛍は
源氏蛍で 光がつよく大きいのです。
まるで夢のなかを ほたるの 強い光が流れていくような
心躍る 風景でした。蛍の光と夢を引くとしたものです。
066 夕焼けに梅雨あがりたり 草ひばり
東北の田舎町で梅雨が上がるころ 夕焼けの
草むらで まるで夏がくるのを告げるように
草ひばりが啼いていました。
草ひばりの囀りは梅雨明けの時の自然の声でもありました。
068 夏蝶の 羽たたみおり 石清水
少年のひ 宝石のように輝くミドリシジミを追って
クヌギの高い木々をさがしつかれて 石清水のある
沢の岩陰にたどり着き あのミドリシジミが羽をたたんでいるの
を見たときの心臓の鼓動は 今でも石清水の冷気と
ともに強く心を揺さぶります。
季重なりですが ご容赦。
072 海染めて ゆらりと眩しあかね雲
雲は光を呼吸する、という詩を作ったほど雲は生きて
呼吸するように思います。静寂のなかで ゆっくりと
海一面をあかく染めて落ち行く落日は 大自然がおりなす
一幅の画でもあります。
074 とほき日の 青き匂ひや 栗の花
都会育ちの人にはわかりにくいかもしれません。
蝶を追って山野を駆け巡った少年時代
一面の栗畑に出くわしたときに かいだ
栗の花の むせかえるような強烈な匂いは
男がオスとして人生を生きていくための匂いでもありました。
東北地方では男の子が生まれると 栗の木を植える
風習があります。人生の荒波を乗り越えられるように
との先祖からの贈り物でもありました。
今万感の想いをこめて 栗の花の句をつくりました、
(2) 中津川さんの自句自解、等
私の句が6点句となって驚いています。兼題 汗 への投句が少なかったこと
がこの結果になったのでしょう。
深瀬さんの5点句の 手にもつ鎌に汗ひかり の表現が素晴らしく感心してい
ます。
背の汗に 峠の風や 富士仰ぐ
7月の初旬に東海道での左富士で有名なさった峠を歩きました。
坂道を登り切った峠でリュックをおろして小休止した時に、背中にかいた汗が
吹いてきた風にスーッと引いた感じがしました。
最後の5文字は「左富士」、「富士遥か」、「富士仰ぐ」などいろいろ考え
ましたが、高さ日本一の富士で仰ぐとしました。
花火に関しては隅田川のような大規模なものから、線香花火の手花火まで、
また景観や見物の人の様子まで幅広く、選句には大変迷いました。
(3) 森杜瑯さんのコメント
深瀬さん
先週、家内と四国松山に行って来ました。松山は正岡子規の出身地らしく、
俳句を作るのが盛んです。提示してあった俳句の中で、私が気に入った句を一
つ。
「観念の眼を閉じており 春の夢」
俳句仲間は、お互い、80歳の加山雄三を目指して、頑張れる句を創りましょう
。
(4) 豊さんの自句自解、等
○最高点句「背の汗に 峠の風や 富士仰ぐ」について
最初にこの句を読んだとき「富士仰ぐ」という表現に引っかかったので、選
びませんでした。
しかし、選んだ人たちの鑑賞文を読んでいるうちに、なるほどいい句だな、
と思い直しました。
私の読みの浅さを反省した次第です。
「富士仰ぐ」という言葉を他の言葉に変えられないかと考えましたが、やは
りこれしかないようです。
○自句自解 「 吊り橋の汗も引っ込む高さかな」
この句は最初は「吊り橋の冷や汗高所恐怖症」でした。私は高所恐怖症なの
で、深い谷を渡る吊り橋は苦手です。
吊り橋の下を見ると怖くて、それまで山を歩いてきた汗が引っ込んでしまう
、ということを表現したかったのですが、十分に伝え切れていなかったようで
す。
○自句自解 「紙中より動くものある曝書 (ばくしょ) かな」
曝書とは、本を虫干しすることです。本棚にしまってあった本を天気のいい
日に虫干ししたら、ページの間から小さな虫が出てきた、という意味です。
動くものは必ずしも虫とは限りません。かつて愛読していた本の思い出が久
しぶりによみがえってきた、という解釈も成り立ちます。
選んでくれた方はそれをわかっていただけたたようで、うれしかったです。
(5) 深瀬の自句自解、等
花火は、身近なようでいて身近でない感じがして、想像で作ったという感じ
です。
この歳になると、終着に近いこれまでの人生を、一瞬の華やかさの後、闇に
消えていく花火に重ね合わせたりしたくなります。
・ぽとと落ち線香花火や闇の中
・ひゅうどんぱっ来し方見れば花火如
・鎮魂の花火に気持ち重ねけり
・圧巻の花火の後の無の世界
また、サラリーマン時代に組織の目標管理に追われ、花火どころではなかっ
たことを思い返しました。
・PDCA抜け出し花火しみじみと
その他、下記のような感じです。
・鉄橋の電車にバンザイ花火かな (多摩川の鉄橋あたりを想像しました。)
・寝たきりの母花火聞き目は遠く (聴覚は最後まで残るそうです。)
・両国の橋と花火に小舟群れ (浮世絵のポスターを見て。)
・妻とお茶ビルの影から花火咲く (全くの想像です。)
・三歳児花火持つ手の緊張し (孫が三歳。自分の子供のころと重ねて。)
汗は、暑さから身を守る生理的なものですが、なにかと真剣に向き合う姿勢
を象徴するものにもなっていると思います。そこで、
・落ち武者の汗拭く顔に無念満ち
・老農の手にもつ鎌に汗ひかり
・アマゾンの裸族弓持ち汗耐える
を作りました。
最近の都心の電車は冷房の効きすぎではと思うこともあります。
・電車乗り突き刺す冷気汗拭う
雑詠は、下記のような感じです。
・ひしゃく持ち清水に並ぶ山茶会 (山裾の茶会と清水の取り合わせ。)
・煌めいて清水に揺れる雲と山 (こんこんと湧く清水を想像して。)
・枝豆のみどりさやけし茹であがり (茹で上がりの枝豆の美しさ。)
・枝豆のぺしゃんこふっくら指迷ひ (高級品でないためか。)
・囲碁の後酒に枝豆笑顔満ち (囲碁の殺すか殺されるかと後の世界の対比。)
・怪談も加計森友に席ゆずり (いまだに真相はよく分からない感じです。)
その他
俳句とtwitter について
最近、ネット上のtwitter によって短文で言いたいことをきらくに言うとい
う行為が流行しています(*) 。一方、俳句は短文であっても、そこに自分の美
意識や深層記憶を、ある程度普遍化し圧縮凝縮するというプロセスが入ってい
ると思います。
日本の和歌や俳句は、こうした一種の気持ちの昇華活動が、ことばの選択を
伴いながら、行われてきたのではないかと思います。連句のような世界とは別
に、建設的なコミュニケーション手段としての俳句によるtwitter 的やりとり
とか可能なのか、少し気になります。
(*) アメリカ大統領は、施政方針をtwitter で表明し、中国では党方針の妨
げとなるtwitter の削除に追われているようです。
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