第2 回、七句会自由連句の結果についての補足です。
1.第2 回、自由連句についての参加者のコメント
(1) 深瀬コメント
連句の流れについてのレビュー
沖縄の首里城が、漏電事故が原因なのか、消失してしまった。焼け跡近くに
は真っ赤な曼珠沙華が咲いている。
城を取り囲んでいた白い城壁も主を失い、再建を待っているようだ。
一方で、辺野古の方では軍事基地の造成のための大規模工事が進んでいる。
自然破壊がいろいろな場所で進むが、またいつか自然に戻ることだろう。
昨夜は、京都の除夜の鐘を聞き、沖縄の歴史を忍んだりしたが、家族と過ご
したせいか気がゆるみ、今日は二日酔いになってしまった。
寒さに耐える鶴が、じっと青空のもとにたたずんでいる。
いつか夜になり、風がでてきて、梢には月影が見える。
もう春が近い。蕗の薹がそろそろ芽をだそうと身構えている。
厳しい寒さに耐えてきた牡丹にも紅い芽が見え始めた。
道端には、真新しいランドセルを背負った少女が入学を待ちわびている。
この少女もグローバル化社会に巣立つのもそう先のことではないだろう。
凧をあげている孫は、風をよめないせいかまだうまくいかないようだ。
それを見ていた老婆が昔を懐かしむように微笑んでいる。
庭先に咲いた冬薔薇の美しさに驚いた孫娘の声が聞こえてきた。
あの娘 (こ) も、嫁いでいくのはそう遠くはないだろう。
寒さのなかで時間の流れも遅いが、桜が咲くのももうすぐだ。
かつての自分も、花吹雪のような華やいだ気持ちで人生と向き合っていた。
青春を謳歌していたころは、いろいろ苦労もあったが、凌いできた。
少し落ち着いた今、白い雲が空一杯に広がっているのがうつくしい。
冬空に枝だけになった欅がまっすぐに立っている。
病院の窓から見たすくっと立っていた欅の姿にはなにか励まされた。
寒さは少しずつゆるみ、霜柱の間から水仙が朝日を浴びている。
そういえば水仙の故郷は遠く離れた気候温暖なギリシャだ。
植物園では睡蓮も咲いていた。モネの絵画も印象的だが、その睡蓮の花の短
命さも身近に感ずる。
老境になると、花の命のはかなさとかにこころ打たれるが、禅の無心の世界
にあそぶのもありそうだ。
全体としてみると、わたしたちも70歳を過ぎ、老境を身近に感じていますが
、花とか孫とかに思いを寄せながら、若かりし過去から今現在に至るまでの、
それぞれの貴重な体験を踏まえて、各自の心境の一端が語られているように思
い、興味深く感じました。
(2) 豊さんのコメント
深瀬さんの連句のレビューについて。発句から最後の句までを一つの世界と
してまとめて理解しようとするのは、はたしていいことなのでしょうか。私に
は、無理して関係づけているように思えました。
もし、連句が完結したときにそこに全体として何かの世界が表現されている
必要があるとしたら、句の付け方にある程度制限をつけなければいけないでし
ょう。句はそれぞれ独立してつけられているはずなので、全体としてまとまっ
ていなくてもかまわないと思いますが、いかがでしょうか。
レビューのあとの深瀬さんの感想は、私も同感です。
深瀬注。この点について、わたしとしては、理系出身のこともあり、各句の
展開を補注も参照しながら、その連関の因果関係を多少論理的に理解したいと
いう作用が働いたものと思います。本人としては、そう無理してこじつけたと
いう意識はないのですが、全体としての感想はかなり一致している感じなので
、これはこれでよいかという印象です。
2.平島さんからのコメントて
(1) 2020年2 月18日付け
深瀬さん
連衆の皆様
満尾おめでとうございます。
自由連句ということなので小生の意見感想が当てはまるのかどうかはわかりま
せんがその昔蕉風連句をお手本に二十数本連句を巻いた経験から見た見立てを
披露させていただきます。
付けはその昔俳諧の連歌のころからの掛け合いから生じたものと言われいわば
問答です。古代の文学や神事のなかにあるものを「もどき」でもって茶化した
り、愚弄したり、滑稽でもって人を笑わせ楽しませ慰めることを狙っていまし
た。
更に音楽や漢詩にある転じ・転調も取り入れられ変化特に前へ前へが良いとさ
れ後戻りは嫌われました。
付けには付心(付けの手法・態度)があり三法有心付け(有心・向付・起情)
会釈(あしらい)(会釈・拍子・色立て)遁句〈遁句)付け所としまして八体
(其人・其場・時節・時分・天相・時宜・観想・面影) 各務支考の七名・八
体説が指導書・指南書として大いに参考にされました。
全体をざっと見た感想と致しましては人情句や天相・草木が比較的多く登場し
一生懸命作られて居られるのですが発想が似通っているなあと言うことがあり
ます。育ちや年恰好今まで生きて来た人経験にかなり共通点があるのだなあ・
・・・?
それに色が一杯出て来ます。白・赤・青・紅意味は違うので一概には言えませ
んが単調になってしまいます。
人情句では思いや想い夢などが繰り返して出てきます。
初めての人は良いとしても後半になっても同じというのはやはり真似みたいに
なり別の発想の方が連句全体が豊かになります。
観音開き・
13に孫14をはさんで15の小野寺さんの句に孫が出て来ますこれは観音開きと
言って同字で発想も似通ってしまうので避けた方が良いことになっています。
ついでにもうし上げますと13の志方さんの句に風があり08で風鳴くと同一人
物が同じ言葉を使うのは離れているから構わないようなものの全体でせいぜい
一人7 句程度ですから同字重用は避けられた方が良いと思う次第です。
それに補注の件ですがやはりこの説明にとらわれて発想が飛ばなくなってしま
っているのではないでしょうか。五七五・または七七の少ない言葉から裏にあ
る作者の云いたいこと言外のニュアンスを読み取って、匂いとか響とか面影か
ら連想を膨らませるとまた違った展開が期待できると思います。ここがまた力
量を発揮できるところでもあります。俳句と違って季語の無い雑の句を入れら
れますので想いきり転じる可能性がありここで滑稽や笑いを取り入れられると
面白くなります。
所詮遊びですから楽しく愉快に遠慮なく好きな仲間と言いたいことを存分に言
い合って終わってみたら苦しいこともあったが、面白かった楽しかったなあと
お互いに思いあえるような作品が出来上がると本当に嬉しいものです。
年寄のたわごとで済みません。
妄言多謝
平島道彦拝
(2) 2020年3 月12日付け
全く余談になりますが今年年末年始イタリアを旅しました。ミラノからボロ
ーニアに向かう汽車の中でマフィアの本を読んでいました。
その昔船でシチリアからアメリカに渡った人たちが上陸前に最初に目にした
のは自由の女神像だったと思います。さあこれから一旗揚げようと一獲千金を
夢見て仕事を始めたことと想像します。
だが事志と違って何事も上手く行かず、ついには最底辺の仕事にもあぶれて
暗黒街に身を投じざるを得ない人も多々出て来ています。
自由の国アメリカでは自分の身は自分で守らねばならず銃を持ち最悪は人を
殺すこともやむを得ない国だと思います。自由にはやは相応の責任が伴って初
めて自由を謳歌出来るのかなとも。
自由の女神像はフランスからの贈り物みたいですが、自由・平等・博愛を掲
げて革命を起こしたフランスですが、先日ゴルフをしたフランス人が言ったこ
とは「パリは昔のパリではないアラブとアフリカばかりだ。だから家を売って
ポルトガルに引っ越してきた」と。
EUで移民問題が大きくなって来ていますが、これはこれからずっと続くで
しょう。中近東・アフリカには自由が無くヨーロッパのどこかに移りたいとい
う人たちが船で陸路で毎日ものすごく大勢の人が動いて居り皆が難民です。
何でこんな話になるのかというと深瀬さんの自由連句からこの自由とは何だ
ろうとふと思い連想が広がってヨーロッパの歴史や地政学にまで思いが及んで
行ってしまいました。
それからついでにもうひとつ。先日オランダ人夫妻を食事にお招きして聞い
た話。昨年ご夫妻は日本へ旅し東北は青森の恐山まで行かれたとか。ご主人は
語学の天才みたいな人で10年掛けてモンティ―ニュの随想録をオランダ語に訳
し、唐詩・漢詩も訳し、日本は何故東北かと言うと芭蕉の奥の細道を辿りたか
ったと。俳句も世界的です。
3.自由連句に関しての掲載URL
七句会第2 回自由連句結果
http://nanaku-haiku.blogspot.com/2020/03/2.html
七句会自由連句第一回 2019 年7 月9 日~9 月30日
http://nanaku-haiku.blogspot.com/2019/10/201979930.html
深瀬 (事務方)
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